万年暦あれこれ |
◇ ダウンロードできる「3200年」カレンダー 現在のグレゴリオ歴は3200年間で誤差が一日以内ということですので、とりあえず西暦1年から西暦3200年までの万年歴(PDF)を作ってみました。 興味のある方は下記からダウンロードしていただけます。 |
3200年カレンダー | 圧縮ファイル名 | 日付の変更日 | |||
ユリウス歴 | グレゴリオ歴 | ||||
フランス版 | (2.03 MB) | french_cal_88.lzh | 1582年10月4日(木) | 翌日→ | 1582年10月15日(金 |
イギリス版 | (2.03 MB) | british_cal_88.lzh | 1752年 9月 2日(水) | 翌日→ | 1752年 9月14日(木) |
◇ 万年歴の制作 外来診療の空き時間に、万年カレンダーに興味がわいて作ってみました。 あらかじめ、表計算「EXCEL」を用いて1月から12月のカレンダーを縦長に並べて1年分のカレンダーを14種類つくります。これを横並びにすると、A4用紙に5年分が効率よく収まります。 実際のカレンダー見本は220年カレンダーをご覧下さい。 このカレンダーは14種類の「1年間カレンダー」を組み合わせて制作したものです。 万年カレンダーを作る際に、年間の12ヶ月分を1単位として予め作っておくとその後の手順が非常に簡便となります。その際に必要となるのは、それぞれの年の最初の日である「1月1日は何曜日か?」と「閏年か否か?」の2つだけです。 年間カレンダーの種類について考える場合、正月1日の曜日を基準にすれば7種類必要で、それぞれ閏年を加えてその2倍、14種類となります。 万年カレンダーといっても14種類の年間カレンダーを規則に従って並べただけのものです。 ◇ スミソニアン理科年表 下記の表はスミソニアン理科年表に収録されており下記のサイト(テーブル829)からダウンロードできます。 http://www.knovel.com/web/portal/basic_search/display?_EXT_KNOVEL_DISPLAY_bookid=736 (無料サイトですが登録が必要です) ◆ ドミニカル記号 表には、ドミニカル記号と呼ばれるアルファベット(1文字または2文字)が14種類あります。 それぞれ1月1日の曜日を表すと考えて差し支えありません。 上の表で赤字について説明します。 左欄の赤字1は西暦の下二桁のことです。これを右にたどると同じ行に赤字Bの表記があります。これを上にたどると赤字0、700、1400の数字が並びます。つまり、西暦1年、西暦701年、西暦1401年は同じカレンダーのBとなります。 年間カレンダーのBは下の表の7Bの欄に該当し、1月1日が土曜日であることを示しています。 上の表の補足説明 アルファベット2文字の年は閏年です。また、1~14の通し番号には特別な意味はありません。 【例1】 「7 B」 → Bは1月1日が土曜日の意味、年間の日数365日 【例2】 「14 BA」 → BAは1月1日が土曜日の意味、年間の日数366日 下の表はスミソニアンの万年カレンダーの一部ですが、これを使わずに私が作った上の表で代用した方が楽です。 ◇ グレゴリオ歴 グレゴリオ歴は西暦1582年にローマ法王グレゴリオ13世が制定した暦で、ほとんどの国で採用されています。 それまでは、紀元前46年にユリウス・シーザーが制定したユリウス歴が使われていました。 16世紀になって3月21日頃であるはずの春分が3月11日にずれていることがローマの天文学者や数学者、僧侶たちの研究でわかりました。 その原因は、ユリウス歴では閏年が規則的に4年に一度と決められていたからであり、グレゴリオ歴ではさらに正確を期すために400年間で閏年の回数を3回減らすように修正されました。また春分が3月21日頃になるように修正されました。 各国におけるグレゴリオ歴の採用年は下記の通りです。一部 Wikipedia の記載と異なりますが、出典が違うためと考えられます。 ◇ 暦のパラドックス フランスとイギリスを例にとって考えてみます。 ○ フランスではユリウス歴の最後の日は1582/10/4(木曜日)で、その翌日1582/10/15日(金曜日)からグレゴリオ歴が採用されました。実際の天文観測と比較してユリウス暦が遅れていたため、10日分スキップして調整した格好です。これにより、翌年の一番昼が長く夜が短い日(夏至)が6月21日頃に調整されたはずです。 ○ イギリスではフランスより170年遅れてグレゴリウス歴が採用されました。 イギリスではユリウス歴の最後の日は1752/9/2(水曜日)で、その翌日1752/9/14(木曜日)からグレゴリオ歴が採用されました。 したがって、この間イギリスでは夏至は6月21日よりも10日(又は11日)早い6月10日前後だったと思われます。 ○ イギリスのフォークストンから1582年10月5日に船に乗ってドーバー海峡を渡り、同じ日にフランスのカレーに到着したとします。そこで地元の人に日時を尋ねると、1582年10月15日と言われるはずです。 ○ イギリスでもフランスでも、1582/10/14 以前と1752/9/14以降については暦が同じになりました。 ○ グレゴリウス歴でもユリウス歴でも7曜日の順番だけは変更(スキップなど)しなかったようです。曜日についてウィキペディアに色々載っていておもしろそうです...。 All rights reserved Yumoto ORTHO CLINIC 2014 |